アントニオ猪木さん死去!プロレス界も政治家も偉人、北朝鮮の訪朝歴や拉致問題も高評価 [ニュース]

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プロレス界の偉人、アントニオ猪木(本名、猪木寛至)が2022年10月1日、都内の自宅で死去した。

79歳だった。

力道山の弟子としてジャイアント馬場と並び日本のプロレス業界を盛り上げて、激闘を演じてファンを沸かせた。

ボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリとの異種格闘技戦の〝世紀の一戦〟を実現させたり、政治家として北朝鮮のパイプ役となったり、「燃える闘魂」は最期まで戦い続け、波瀾万丈の生涯を終えた。

 猪木氏が北朝鮮に関わりを持ったのは、恩師の力道山が北朝鮮出身ということもあって北朝鮮訪問を熱望していました。

訪朝を実現したのは、1995年4月に「平和のための平壌国際スポーツ祭典」を主催したときで、プロレスを興行している。

特別ゲストとして招待されたモハメッド・アリなどの外国人観光客1万人を含めて約5万人が観戦していたほど大盛況でした。

衝撃なのが、猪木氏の北朝鮮通に着目した金泳三政権が北朝鮮とのパイプ役を依頼したという噂もあったそうです。

猪木氏の訪朝歴は26回も多くて、2013年に処刑された金正恩総書記の叔父・張成沢と対面した最後の外国人だったのは記憶にあたらしいです。

猪木氏の発言によると、日本政府が拉致問題の解決ために猪木氏に協力を要請したことが一回もなかったそうです。

これが事実ならば、北朝鮮パイプを生かさなかったのはとてももったいない。

「スポーツ平和党」を立ち上げ、議席獲得したときは平成期の政界にも一大旋風を巻き起こした。

政界引退を経て復帰し、日本維新の会、次世代の党、日本を元気にする会と、政党を変遷しながら令和の2019年まで議席を保っていました。

猪木氏の生き様を振り返ると、人生で挑戦し続ける姿勢が国民に勇気と元気を与えていました。ご冥福をお祈りいたします。


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